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ポルトガル紀行

今まで約90ケ国弱海外旅行している中、ポルトガル周辺国には行っているのですが、まだ未訪問国にて今回行ってきました。写真は、ポルトの町です。リスボンに次ぐ2番目の人口が多い街です。ドゥエロ川を挟んでの旧市内はとても感じの良く住んでみたくなる街でした。

ポルトは、ワインの有名な街でワイン蔵にも行ってきました。この会社のトレードマークはマントで怪傑ゾロを彷彿させる物が有りました。ガイドもマントを着ての案内です。試飲もしましたがとても甘く私には合いませんでした。

水の都アヴェイロ!運河と塩田に囲まれた色彩豊かな街で、運河をゴンドラに乗り観光してきました。乗船ガイドのお兄さんがとてもひょうきん者で楽しい時間でした。

同じくアヴェイロで有名な縦縞のお家です。今は冬でオフシーズン人影も少なかったです。
しかし縦縞の壁のデザインは面白いなと感じました。昔漁師が帰って来た時に自分の家が解りやすいようにとの説も有りますが定かでありません。

今回の旅行は、昼食が数回自由食で、人気のすし店に一人で入ってみました。日本のお寿司とは違って、お花とか生野菜、果物でデコレーションされており、食事前にドライアイスの入った容器に水を差し込み煙で演出していました。8年前もアイスランドで、寿司レストランに入りましたが寿司の内容が違いました。ちなみに写真の寿司は、6カンで20ユーロ(日本円で3.000円強です。)

古代ローマ帝国時代からイスラムの時代、ポルトガルが繁栄を誇った大航海時代など、さまざまな歴史の舞台となったポルトガル。街並みも道路がタイルで装飾されとても良い雰囲気を醸し出している地区も有りました。

世界遺産の町シントラ-風光明媚な景観の中にある個性的な建造物の自由時間で昼食時は、ホテルで野菜を茹でて(野菜大好き人間)朝食のビュフェから生ハムを頂き、サトウのごはんとみそ汁、海苔で昼食です。私は大の日本食党で、海外の食事を食べていると体力が削がれて疲れやすくなるので、いつもスーツケースの中は、日本食で一杯です。笑い

リスボンの輝かしい大航海時代や、貿易が盛んだった頃の話。コメルシオ広場に置かれている飛行機ですが、当時ブラジル迄無着陸飛行した記念の飛行機です。奥にはテージョ川を跨ぎ、リスボンとアラビダ半島を結ぶ、1966年に開通した全長2277mの橋で、ヨーロッパで一番の長さを誇る吊り橋が見えます。今回旅してポルトガルは、日本との関わりの深い国で有ることが解りました。言葉も日常使用しているカステラ、パン、コロッケ、ビスケット、ボタン、マント、チャルメラ、コップ、たばこ等々ほんの一部をご紹介しましたがこのほか多岐にわたります。ポルトガルの総人口は、1.034万人(東京都より少ない)如何に日本の人口が減少とはいえ90ケ国訪問して、その人口の多いことには感心してしまいます。
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九州 名湯めぐりの旅

初日は博多観光しました。 写真はアクロス福岡の建物で28年前に建造された建物で、土日は建物脇に併設された人工林が有り『アクロス山』として、12階まで徒歩だけで屋上に行ける散策道を楽しみました。28年前のコンセプトが今も支持されていることに驚きです。

福岡市役所前から出発する2階建て屋根ナシバスに乗り市内観光もしてきました。天神地区は、『天神ビックバン』として大型ビルが今続々建築されており、仙台西口もサクラノやオリックスの駅前開発が進めば良いなと感じた瞬間でした。

湯布院の町は、外人観光客で大混雑、ショッピングには女性が喜びますが私は買い物嫌いで混雑には閉口しました。写真は、別府温泉の海地獄です。

同じく足湯に使用するお湯を源泉では暑すぎるので、冷ます工夫がされている竹製の器具が面白いと思って撮影してきました。

30年近く運航されている『特急ゆふいん』車高が高くいつも新幹線に乗っている自分には揺れが激しく、お世辞に快適とはかけ離れた乗り心地でした。

阿蘇山の途中の道の駅にコスモスが一面に咲いている場所が有り、丁度見ごろで思わず写真撮影です。

前々から来てみたかった高千穂峡です。写真になる風景でした。今回は手漕ぎボートがお休みと時間が無かったので乗れませんでしたが、機会が有ればまた来たい場所でした。(交通の弁も悪く辺境に在り、再訪問は大変だとも感じました。)

海地獄の池に蓮池が有りとても綺麗に可憐に咲いていました。花好きの私は思わずシャッターを切りました。

地震の被害にあった熊本城ですが、一部を残して復きゅうしておりその威容がすごかったです。但し城の中が観光化され昔の面影はないのが残念でした。
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上高地・立山黒部・黒部峡谷トロッコの旅

初日は仙台朝7時に新幹線出発して宇都宮下車、バスで410Kmの移動時間7時間で上高地だけの観光時間が1.5時間の強行軍でした。ツアー旅行は、よく内容を吟味して参加が必要だなと改めて感じた次第です。大正池から河童橋まで約1時間の散策し天気も良くとても気持ち良かったです。

黒部ダムは2回目でしたが圧巻でした。ダム周辺の階段を歩くのも結構体力が必要でした。しかしながら、よくここまでダム工事した物だと改めて感心しました。

立山の一部のナナカマドは紅葉が始まっていました。

ロープウエーからの風景ですがとても雄大でした。今回扇沢から登り最初電気によるトロリーバスに乗り、次は地下ケーブルに乗り、ロープウエーに乗り継ぎ、トンネルバスに乗り継ぎ、最後高原バスの6種の乗り物に乗次いで立山に降りました。

立山玉殿の湧き水を汲んでみました。立山は数カ所湧き水が湧いており自動販売機からペットボトルの飲料を買わなくても良かったです。

数壱〇年に渡り工事開始され、その資材を運んでいたのが黒部峡谷のトロッコ電車です。新幹線の約半分のレール幅にて峡谷に鉄路を作ったとの事。

日本一狭い峡谷でダム建設にはマッチしている地形との事。今ではトロッコ電車も観光化され、その景観は山奥の急な斜面を走るトロッコとしては刺激的でした。
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地中海リゾートチュニジアとドーハの旅

コロナ明けで3年半ぶりで海外に行ってきました。チュニジアとカタールのドーハの旅です。チュニジアには、成田からドーハ迄11時間35分、乗り継ぎで約5時間の待合時間、更にドーハらかチュニジアの首都チュニスまで5時間50分、実に22時間の旅のりでした。 幸いビジネスクラスを使用したので良かったです。

モザイク博物館ですが、2.000年前に作られたとは思われないシックな色彩を放っていました。これは当時床に使用していたモザイクの床を博物館様に壁に掛けて展示しているものです。

チュニジア料理は、いつも前菜でこのような野菜が出て来ます。お世辞にも個人的には美味しいものではありませんでした。いつも海外はスーツケースの中に日本食を一杯詰めての旅行は今回も正解でした。

今回の旅でカルタゴの昼食の魚が唯一美味しかったです。他のレストランは、シーフードと云っても魚は冷凍品で風味が全くなくまずかったです。いつも海外旅行で困るのは食事です。

素敵なレストランですが、残念なことにエアコンが壊れており食事も今一でした、雰囲気は最高なのですが。

チュニスで一番景色の良い場所との事、地中海を挟んでアトラス山脈も見えます。あまりの景色の良さに翌日も行ってきました。

カルタゴの遺跡です。高台に作られておりその当時の生活が遺跡の要所々で感じ取れました。とにかく気温が48度は体調もついてこれませんでした。。体温より高い気温は初体験でした。

チュニジアは、遺跡巡りが主ですが、フランス、ドイツ、イタリアから3時間のフライトで来れる避暑地なのでヨーロッパ人には人気の様です。ここはアフリカですが、まさにヨーロッパのエリアで、チュニスの空港でもお土産表示はユーロ表示で、現地通貨のディナールは空港で使用できなく何か割り切れない感じでした。

最終日カタール観光ですが、気温50度との事で観光はオフシーズンとの事。流石外には人が出ていません。カタール人は30万人、出稼ぎの外国人がその9倍で、総人口300万人の国であることに驚きです。
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夏の北海道

例年7月は北海道に行くことに決めています。仙台から新幹線で函館まで意外と近いですね、中学生の修学旅行の時以来の函館山の夕方の山頂からの風景です。

夜の7時過ぎになってやっと100万ドルの夜景が輝き出しました。山頂には立つ場所がないくらい外国人でごった返していました。

数10年前に、家族で大沼公園を自転車で1周した思い出がよみがえってきました。天気にも恵まれとても綺麗でした。

名曲『千の風になって』の標識看板です。

昭和新山を眼下に綺麗な風景が広がっていました。

洞爺湖は『日本ジオパーク』『世界ジオパーク』に登録されていて、「日本百景」「新日本旅行地100選」「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定されているようです。この広がりはたまらなく素晴らしいですね。

ファーム富田のラベンダー畑です。紫のラベンダーが一面咲いていました。一時はラベンダー栽培から撤退も考えたときも有ったとか、今になっては一大観光地になっています。何事もあきらめないで頑張る事が大事と気が付かされました。