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キューバ紀行

キューバと云えばオールドカー。 50年以上の古いアメ車が走っていました。もっとも観光タクシーとしてですが。
部品は勿論既になく、ロシアから別の車の部品を使って加工して使用しているようです。修理メンテナンスの技術は世界一かも知れません。首都ハバナでは、このタクシー会社が2社の様です。

キューバという国は かつてはスペインの植民地時代が約400年続きました。スペインからの独立後、隣国 米国によって1902年〜59年キューバ革命までの約60年間 統治されていました。写真はハバナのモロ要塞。

バチスタという大統領がアメリカンマフィアの支援を受ける事により、突然1952年にキューバで軍事クーデターを起こし、成功してしまいます。そこからキューバ革命が起こる59年までの間に、マフィア資本をバックに歓楽の都キューバ(ハバナ)が築かれて行きました。写真は医師でも有るキューバ革命で有名なゲバラ像です。

バチスタ政権はマフィアたちとキューバにおける利権のほとんど統べてを握り、カジノ/売春/ヘロインと、まさに米国の法律が通用しないキューバの地ですき放題に今で言うブラック資本の帝国を作っていったというのが、今も残るキューバという国に放たれている不思議さの土台と思われます。写真はパラデロのホテルの朝焼けです。月も見えます

パラデロ市内のホテルですが、キューバのホテルは100%国営との事。流石観光業で経済を持たせなければならない国だけに、ホテル内のアメニティーは綺麗でした。食事も他国と遜色ない内容でした。しかしいまだながら、食材などは支給制度で、給料も月額2~3万との事、現地ガイドの弁ですが、生活はかなり厳しいようです。

キューバで有名な作家『フェミングウエーの店内銅像』です。彼がいつも来て食事したカウンター端に飾られていました。彼のお爺さん、父親、息子、孫5代続けて全て自殺で無くなっているとの事。話は変わりますが、町の地元民の利用するスーパーに行ってみましたが、生鮮食品はほとんど置いていませんでした。また店内は床がいたるところ壊れており、商品も埃をかぶっており、日本の主婦が行っても買い物をする気が起きない環境下にありました。

キューバはかつて、サトウキビ産業で(砂糖・お酒 ラム酒)で一時世界の経済国5番目まで上り詰めたことのある国です。
モヒート・ダイキリン等ラム酒を使用したお酒も飲んできました。私は初めての体験で、とても美味しく感じました。もともと労働者のお酒との事、当時アフリカから、黒人を多数奴隷としてキューバに連れてきた歴史が有ることにお酒の関連も頷けました。写真はハバナクラブ蒸留所

アルカポネハウスです。彼の生涯は、とても起伏に富んでおり、帰国後自伝を見ましたが、面白い人生を送ったようです。
現在はレストランになっていました。

同じアルカポネの別荘ですが、ビーチサイドでとても風光明媚な環境でした。生きたペリカンが4羽人に慣れておりお迎え頂きました。今回社会主義国家を旅して、強く感じたことは、努力しても報われない社会は、やはり経済成長はしないと強く感じました。
トイレ使用の時は、ホテル以外、レストランでも博物館でもすべて25円掛かることも異様に感じました。(汚い仕事は誰もしたくないので、社会主義の中で数少ない独立家業の様です。)今回の旅は、肌で感じた社会主義国家の旅でした。
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